COLUMN
渡部恒三の訃報に接し
渡部恒三が亡くなった。
ぼくは小室直樹の大ファンで、息子の名前も小室直樹から取っているのだけれど、渡部恒三は、そんな小室直樹と会津高校の同級生だった。渡部によると、隣りの席だったらしい。
小室は昼食の時間になると、いつも教室から姿を消していた。
それを見とがめた渡部が問い質すと、「弁当を持っていないからだ」と小室は答える。
小室の家は貧しく、弁当を持たせてもらえなかった。
それを知った渡部は、自分の下宿先に頼んで弁当をふたつ用意し、こうして小室は昼食にありつけるようになった。
このエピソードを知って以来、ぼくはずっと渡部恒三支持。
何党に所属しようが、何を訴えようが、ぼくは渡部恒三支持。
ぼくの父は長州の出だけど、ぼくは会津の渡部恒三支持。
てか長州って、ロクな政治家を輩出してねーじゃねーか。
ロクな政治家、というか、ロクな官僚がいないことの理由を、小室直樹は分析している。
日本国のために働くんだという志を持っていたハズの官僚が、かくも堕落したのはなぜなのか。
たしか、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」の頃だったと記憶している。
手許に資料がないので、正確な引用は出来ないが、小室は
かつては皆が貧しかったが故、優秀な人材は、地域をあげて応援した。学費も、地域のみんなで負担した。結果、その優秀な人材は、自分を応援してくれた地域のため、ひいては国のために働こうと思った。
しかし、日本が豊かになるにつれ、自分の優秀さは自分の努力の結果であると思われるようになり、そうなってしまうと、国や地域のためではなく、努力した自分の思う通りに振る舞っても構わないだろう、となってしまった。
という主旨の分析を行っている。
ちなみに、小室は京大受験の折、京都から福島まで徒歩で帰ってきている。
これは旅費を援助してもらっているものの、京都滞在中の費用がかさみ帰途の交通費が無くなってしまい、かと言って、追加の金を無心するわけにもいかなかったから、とされる。
渡部恒三曰く「合格して嬉しくなり、全部飲んでしまったんだろう」とのことだが。
小室はその後、フルブライト留学生としてアメリカで、サミュエルソン、ソロー、アロー(いずれもノーベル賞受賞者)などに学び、帰国後も丸山真男などから学ぶ。私塾を開き、橋爪大三郎、宮台真司などを輩出。出演したテレビ番組で小沢遼子をぶん殴る。
などの活躍も、渡部恒三の援助がなければあり得なかった、かも知れない。
小室のことはともかく、昼飯にありつけないような同級生のために弁当を用意してやる。そんな人物こそが政治家になるべきだろう。
渡部恒三のような人物こそ、政治家に相応しい。
惜しい人を亡くした。
2020年8月24日