COLUMN
不幸な国の幸せなグラフ
幸せってなんだろう、ということを考えている。
先日来の、価値観のハナシからの延長線なのだが。
もちろん、幸せの比較はできない。
ぼくにとっての幸せが、他人にとっても同じように幸せであるなんてことは、滅多にない。
エスパルスが優勝したらぼくは幸せだが、他チームのサポはつまらないだろう。
ジャンキーがラリっていたら、おそらく本人は幸せに違いないが、ぼくにはそれが幸せとは思えない。
幸せに決まったカタチはない。
それがどのようなアプローチであれ、幸福度を指数で表すことはできない。仮に表したところで、結局は
「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」
というものに過ぎない。
では、不幸はどうだろうか。
不幸は、ある程度の比較が可能な気もする。
ここでは、二つのデータを指標として取り上げる。
新生児死亡率と自殺率だ。
たとえば、戦争は不幸とは言い切れない。倫理的な是非はともかく、戦争で儲けようという人もいるだろうし、負け戦はごめんだが勝つなら戦争したい、という人も少なくないだろう。
一方で、新生児の死に対し、ポジティブな面を見出すことは難しい。新生児死亡率の上昇を喜ぶというような価値観があり得るだろうか。ちょっと想像できない。赤ん坊の死は、誰にとっても一様に不幸だろう。よって、新生児死亡率を不幸を測る一つの指標として採用する。
自殺についても同様だ。自殺にポジティブな面を見出すことは難しい。死にたいと思ってしまうことは、その理由に関わらず不幸であることは自明であるように思う。よって、自殺率を不幸を測る一つの指標として採用しよう。
データはどちらも、ネットで拾ってきた。
新生児死亡率は MEMORVA「世界の新生児死亡率、国別順位、WHO 2018年版」、自殺率は Wikipedia「国の自殺率順リスト」から。
Excelにデータを突っ込んで、散布図を作成した。
できあがったグラフを眺める。
一番不幸が少ない国は、一目瞭然、キプロス。
優勝はキプロスに決定!
いくつかの但し書きを。
先述のように、データはネットでの拾いものだ。正確性の保証はない。そもそも、新生児死亡率と自殺率をならべることに、統計的な意味があるのかどうかもわからない。思いつきでデータを探してきて、Excelでできることをやったに過ぎない。
二つのデータを揃えられる国は、全部で182ヵ国あったが、「統計の信頼性や更新頻度が国によって異なるため、単純な比較が難しい」との記述もあったので、新生児死亡率が10を超える国は捨象し、91ヵ国の比較とした。新生児死亡率はインフラの整備と教育によって改善されると考えられ、それらが不十分な国はデータの信頼性も低いだろうと考えた。と言いつつ、捨象した一番の理由は、182ヵ国だとグラフを印刷した際、重なり合う箇所が多く、判別できなかったからだが。
そんなテキトーなグラフだけれど、眺めていて思ったことをいくつか。
日本は、思ったよりも不幸な国ではなかったということ。
Excelは近似曲線(青線)を表示してくれるが、日本は、その近似曲線よりも好ましい(新生児死亡率が低く、自殺率も低い)位置にプロットされている。また、近似曲線と平行な直線を日本に重ねて引いてみると(赤線)、そのラインより好ましい位置にある国は少ない。G7では、イタリアとイギリスのみ。イギリスはほぼ同じライン上と言ってもかまわないほど。一方、フランス、アメリカ、ドイツ、カナダは、日本より好ましくない位置にプロットされる。
もっとも、日本の自殺率(18.5)はここ数年下落傾向にあるとは言え、それでも世界でワースト10に入るかどうかという高い水準だ。グラフ上に示される「不幸でない」結果は、ひとえに世界一低い新生児死亡率(0.9)によって担保されている。
スウェーデンなど北欧の福祉国家は自殺率が異常に高い、と聞いたことがあったが、データを見る限りでは、軒並み日本ほどには高くない。
「幸せの国」ブータンは、新生児死亡率が高い(18.1)ため91ヵ国バージョンのグラフには掲載されていないが、自殺率も決して低いとは言えず(11.4)、データ的には「不幸な国」と言わざるを得ない。
日本が53位とされた「世界幸福度報告」において上位3ヵ国、デンマーク、スイス、アイスランドのうち、グラフ上から明確に「日本より不幸でない」と言い切れるのは、3位のアイスランドだけ。
Wikipediaには「自殺が宗教的に禁じられているイスラム諸国では自殺率が統計上低い傾向がある」と記述されている。キリスト教も自殺を禁じていたはずだが、にもかかわらずキリスト教の国で自殺率が低くないのは何故なのか。イスラム諸国では自殺を自殺とカウントしていない、ということなのだろうか。であれば、イスラム諸国は除外してグラフを作り直す必要があるかもしれない。
最も注目したいのは、新生児死亡率と自殺率の相関関係。
近似曲線が示すのは、新生児死亡率が低下すると、自殺率が上昇する傾向だ。
この傾向が示唆するのは、あくまでもぼくの解釈に過ぎないが、死が身近にあると死にたいとは思わず、死を遠ざけると死にたいと思う人が出てくる、ということではないだろうか。これは、感覚的にも納得できる気がする。
新生児死亡率と自殺率に相関関係があるとするならば、発展途上とされる国も、開発援助を通じてインフラ整備と教育がもたらされるに従い、自殺率が高まる可能性が無視できない。はたして、それは良いことなのだろうか。
「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」(奥野克巳)によれば、プナンの人々は教育を必要としていない。そして、プナンに自殺はないそうだ。新生児死亡率は高そうだが。
プナンと日本、どちらがよりマシなのか、直ちに判断することは難しいけれど、考えなければならない問題だ。
最後に、ぼくがなぜ、新生児死亡率と自殺率という二つの指標を取り上げたのかを述べておく。
当初の目論見としては、自殺率のみでその国の不幸度合いが示されると考えた。
魚類学者でタレントのさかなクンによると、海で泳いでいる魚にいじめはないが、狭い水槽に閉じ込めると、いじめが始まるのだという。
動物園など飼育下にある動物では、時として、野生では見られない異常行動が観察される。
異常行動をもたらすもの。魚で言うところの水槽は、ヒトの場合は国家ではないだろうか。
そして、自殺こそ、生物における究極の異常行動。
よって、自殺率の高い国ほど不幸な国、として差し支えないと考えた。
ところが、実際に「自殺率順リスト」を眺めてみると、自殺率の低い国にシリア(1.9)を見付けた。
ぼくはシリアの現状に対し、具体的な何かを知っているわけではない。しかし、報道で見聞きする限り、シリアが世界で5番目に不幸でない国、とはとても思えなかった。
こうして、自殺率以外の指標の必要性を感じ、普遍的な不幸として新生児死亡率を採用したのは上記の通り。
その新生児死亡率が自殺率と負の相関関係を示すのだとしたら、インフラの整備と教育の普及は、水槽を狭くすることを意味してはいないだろうか。
妥当性はおくとして、グラフを眺めるのは楽しい。
もっとも、グラフを眺めるのではなく、実際にその国を訪れてみたいんだけど。
キプロスって、どこよ?
先日来の、価値観のハナシからの延長線なのだが。
もちろん、幸せの比較はできない。
ぼくにとっての幸せが、他人にとっても同じように幸せであるなんてことは、滅多にない。
エスパルスが優勝したらぼくは幸せだが、他チームのサポはつまらないだろう。
ジャンキーがラリっていたら、おそらく本人は幸せに違いないが、ぼくにはそれが幸せとは思えない。
幸せに決まったカタチはない。
それがどのようなアプローチであれ、幸福度を指数で表すことはできない。仮に表したところで、結局は
「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」
というものに過ぎない。
では、不幸はどうだろうか。
不幸は、ある程度の比較が可能な気もする。
ここでは、二つのデータを指標として取り上げる。
新生児死亡率と自殺率だ。
たとえば、戦争は不幸とは言い切れない。倫理的な是非はともかく、戦争で儲けようという人もいるだろうし、負け戦はごめんだが勝つなら戦争したい、という人も少なくないだろう。
一方で、新生児の死に対し、ポジティブな面を見出すことは難しい。新生児死亡率の上昇を喜ぶというような価値観があり得るだろうか。ちょっと想像できない。赤ん坊の死は、誰にとっても一様に不幸だろう。よって、新生児死亡率を不幸を測る一つの指標として採用する。
自殺についても同様だ。自殺にポジティブな面を見出すことは難しい。死にたいと思ってしまうことは、その理由に関わらず不幸であることは自明であるように思う。よって、自殺率を不幸を測る一つの指標として採用しよう。
データはどちらも、ネットで拾ってきた。
新生児死亡率は MEMORVA「世界の新生児死亡率、国別順位、WHO 2018年版」、自殺率は Wikipedia「国の自殺率順リスト」から。
Excelにデータを突っ込んで、散布図を作成した。
できあがったグラフを眺める。
一番不幸が少ない国は、一目瞭然、キプロス。
優勝はキプロスに決定!
いくつかの但し書きを。
先述のように、データはネットでの拾いものだ。正確性の保証はない。そもそも、新生児死亡率と自殺率をならべることに、統計的な意味があるのかどうかもわからない。思いつきでデータを探してきて、Excelでできることをやったに過ぎない。
二つのデータを揃えられる国は、全部で182ヵ国あったが、「統計の信頼性や更新頻度が国によって異なるため、単純な比較が難しい」との記述もあったので、新生児死亡率が10を超える国は捨象し、91ヵ国の比較とした。新生児死亡率はインフラの整備と教育によって改善されると考えられ、それらが不十分な国はデータの信頼性も低いだろうと考えた。と言いつつ、捨象した一番の理由は、182ヵ国だとグラフを印刷した際、重なり合う箇所が多く、判別できなかったからだが。
そんなテキトーなグラフだけれど、眺めていて思ったことをいくつか。
日本は、思ったよりも不幸な国ではなかったということ。
Excelは近似曲線(青線)を表示してくれるが、日本は、その近似曲線よりも好ましい(新生児死亡率が低く、自殺率も低い)位置にプロットされている。また、近似曲線と平行な直線を日本に重ねて引いてみると(赤線)、そのラインより好ましい位置にある国は少ない。G7では、イタリアとイギリスのみ。イギリスはほぼ同じライン上と言ってもかまわないほど。一方、フランス、アメリカ、ドイツ、カナダは、日本より好ましくない位置にプロットされる。
もっとも、日本の自殺率(18.5)はここ数年下落傾向にあるとは言え、それでも世界でワースト10に入るかどうかという高い水準だ。グラフ上に示される「不幸でない」結果は、ひとえに世界一低い新生児死亡率(0.9)によって担保されている。
スウェーデンなど北欧の福祉国家は自殺率が異常に高い、と聞いたことがあったが、データを見る限りでは、軒並み日本ほどには高くない。
「幸せの国」ブータンは、新生児死亡率が高い(18.1)ため91ヵ国バージョンのグラフには掲載されていないが、自殺率も決して低いとは言えず(11.4)、データ的には「不幸な国」と言わざるを得ない。
日本が53位とされた「世界幸福度報告」において上位3ヵ国、デンマーク、スイス、アイスランドのうち、グラフ上から明確に「日本より不幸でない」と言い切れるのは、3位のアイスランドだけ。
Wikipediaには「自殺が宗教的に禁じられているイスラム諸国では自殺率が統計上低い傾向がある」と記述されている。キリスト教も自殺を禁じていたはずだが、にもかかわらずキリスト教の国で自殺率が低くないのは何故なのか。イスラム諸国では自殺を自殺とカウントしていない、ということなのだろうか。であれば、イスラム諸国は除外してグラフを作り直す必要があるかもしれない。
最も注目したいのは、新生児死亡率と自殺率の相関関係。
近似曲線が示すのは、新生児死亡率が低下すると、自殺率が上昇する傾向だ。
この傾向が示唆するのは、あくまでもぼくの解釈に過ぎないが、死が身近にあると死にたいとは思わず、死を遠ざけると死にたいと思う人が出てくる、ということではないだろうか。これは、感覚的にも納得できる気がする。
新生児死亡率と自殺率に相関関係があるとするならば、発展途上とされる国も、開発援助を通じてインフラ整備と教育がもたらされるに従い、自殺率が高まる可能性が無視できない。はたして、それは良いことなのだろうか。
「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」(奥野克巳)によれば、プナンの人々は教育を必要としていない。そして、プナンに自殺はないそうだ。新生児死亡率は高そうだが。
プナンと日本、どちらがよりマシなのか、直ちに判断することは難しいけれど、考えなければならない問題だ。
最後に、ぼくがなぜ、新生児死亡率と自殺率という二つの指標を取り上げたのかを述べておく。
当初の目論見としては、自殺率のみでその国の不幸度合いが示されると考えた。
魚類学者でタレントのさかなクンによると、海で泳いでいる魚にいじめはないが、狭い水槽に閉じ込めると、いじめが始まるのだという。
動物園など飼育下にある動物では、時として、野生では見られない異常行動が観察される。
異常行動をもたらすもの。魚で言うところの水槽は、ヒトの場合は国家ではないだろうか。
そして、自殺こそ、生物における究極の異常行動。
よって、自殺率の高い国ほど不幸な国、として差し支えないと考えた。
ところが、実際に「自殺率順リスト」を眺めてみると、自殺率の低い国にシリア(1.9)を見付けた。
ぼくはシリアの現状に対し、具体的な何かを知っているわけではない。しかし、報道で見聞きする限り、シリアが世界で5番目に不幸でない国、とはとても思えなかった。
こうして、自殺率以外の指標の必要性を感じ、普遍的な不幸として新生児死亡率を採用したのは上記の通り。
その新生児死亡率が自殺率と負の相関関係を示すのだとしたら、インフラの整備と教育の普及は、水槽を狭くすることを意味してはいないだろうか。
妥当性はおくとして、グラフを眺めるのは楽しい。
もっとも、グラフを眺めるのではなく、実際にその国を訪れてみたいんだけど。
キプロスって、どこよ?
2019年1月4日
2019年1月7日 reviced