COLUMN

 


デュエル

カメダ半端ないって!あいつ半端ないって!相手GKがボールめっちゃプレゼントするもん。そんなんあり得へんやん普通。そんなんあり得る?

相手GKが直樹にボールを転がして渡す。隣の会場の笛を勘違いしたのだ。受けとったボールを蹴り込んで、難なくゴール。

直樹が、サッカーチームで頑張っている。残念ながら両親に似て運動神経は悪い。が、どういうわけか、チョコチョコ点を取ってくる。なぜだか分からないが、ゴール前でウロウロする直樹の前に、コロコロとボールが転がってくる。
とってもラッキーマン。

という、息子の「活躍」はさておき、今回はサッカーを観ていて感じたことについて書いてみたい。

土曜日からの三連休は、連日、筑北村という高速飛ばして1時間半のサッカー場(人工芝♡)で、試合があった。7チームが参加。1日2試合。3日で6試合。
1日目は元気なく連敗。
主力の一人――直樹の同級生でもあるのだが――が、都合により欠席だった。
2日目からは、その同級生も参加で、3連勝。最後に1敗。
3日続けて見れば、その子の存在の大きさは、明らか。対戦相手が違うので、結果はさておくとしても、だ。

トレセンという、サッカーならではの制度がある。「日本サッカーの強化、発展のため、将来日本代表選手となる優秀な素材を発掘し、良い環境、良い指導を与えること」を目的に25年前に始まった制度、だそうだ。そのトレセンに彼は選ばれているので、実力者であることは間違いない。上伊那トレセンのいっこ上、南信トレセンに選抜されている。ただ、ぼくの知っている範囲に限っても、さらに上の長野県トレセンに選ばれている子も何人かいるので、それほどスーパーというわけでもないのだろう。
スーパーな選手ではなくても、いるといないのでは大違いの選手。

その同級生。とにかくギャアギャアとうるさい。
サッカーにおいて、声を出すことは大切、とされている。コーチングとかチームを勇気づけるような言葉とか。でも、彼のそれはそういうポジティブなものではない。チームメートの失敗に対する罵倒。

「ああいうのは良くないんじゃないか。サッカーは失敗が当たり前のスポーツ。失敗したことは本人だって分かってるのに、それを責めたって意味がない。チームの雰囲気が悪くなるし、萎縮しちゃう選手もいるだろ」

みたいなことを、直樹と話したこともある。
先日は練習中に、いっこ下のエース君とケンカをして、二人揃ってコーチにめたくそ怒られていたらしい。中学生ですよ?練習中にケンカって、小学校低学年ですか?
いっこ下のエース君は、こころ優しい少年なんだけれど、直樹に言わせると

「アイツ(←同級生の子)が来ると、化学反応でオラついてくる」

らしいのだ。
先輩に対しても、遠慮なくガンガン文句言ってたから、後輩に威張り散らすみたいなのとはワケが違うんだけど、やっぱり萎縮しちゃうチームメートも出てくるわけです。
でも、彼がいないとチームが機能しない。エース君も輝かない。
再度、直樹に言わせると

「アイツがいると、雰囲気が悪くなって強くなる」

彼の存在は、能力の高さ(ボールをキープできるとか)で+2。チームの雰囲気を悪くするから-1。差し引き+1。そのように考えていた。だから、雰囲気が良くなれば(せめて悪くならなければ)、当然もっと強くなるに違いない。
しかし、それは間違った考えだったかもしれない。
「雰囲気が悪く」なるからこそ、チームが強くなっているのではないか。
そう思わせる事件が起こった。

筑北遠征、最終戦。
チームは先制。しかし逆転され、さらに失点を重ねる展開。もっともイラつく展開。
同級生もイラついて、いつにもまして文句を言っている。
ゴール前のチャンス。直樹が外す。決めてりゃスーパーゴールの難しいプレーだ。
これに対して、文句を言う。いつまでも言っている。次のプレーが始まっているのに、まだ言っている。
直樹も何か言い返しているが、それでもまだ言っている。
文句を言うのに一生懸命な同級生、ルーズボールへの寄せが遅れる。
その瞬間、直樹がブチ切れて怒鳴る。

「オマエ、行けよ!」

「自分の好きなところはどういうところですか?」という質問に対し、「怒らないところ」と書いていた直樹クンが、ブチ切れているわけです。
ぼくも、そんな我が子を初めて見た。

で、怒鳴ったあとどうなったかというと、明らかにチーム全体のプレー強度が一段上昇。そして得点。
雰囲気としては最悪だったハズだけど、得点。
得点決まったら、二人で抱き合って喜んでいて、まぁなんだかよく分からないんだけど。

雰囲気が良いとか悪いとかってことを、ぼくらはなんとなく言ったりする。
でも、良いとか悪いってのは、あくまでもひとつの価値観であって、それが正しさを証明するわけではない。サッカーチームの目的が勝つことであるならば、そんな「雰囲気の悪さ」は、むしろ必要なことかもしれない。戦う集団、みたいな表現をすべきだろうか。

最近の主流、ないし、流行の考え方だとは思うのだが、楽しくやった方が結果も出るだろう、と思っていたぼくには、驚きの出来事だった。

思い返してみれば、黄金期のジュビロ磐田では、ドゥンガが常に怒鳴っていた。
いくらなんでも怒りすぎじゃね?と思って見ていたが、あれも勝つためには必要なことだったのかもしれない、と今は思う。
ぼくが高校生だった頃、我が校のサッカー部は強かった。長野県内でも辺境と言って良い地区の公立高校が、サッカーしかやっていないような私立高校と県大会の決勝でぶつかって惜敗した、という結果は、もっと称賛されてしかるべきだったと思う。当時のサッカー部のキャプテンは、ぼくの友人だ。
顔もアタマも良かったが、性格は悪かった。
彼の試合中の姿を見たことはないが、あの性格の悪さを鑑みるに、おそらく試合中はギャアギャア文句を言いまくっていたに違いない。知らんけど。
今度会ったら聞いてみる。

サッカーに必要なのは、強度。インテンシティーとか、デュエルとか、球際とか。厳しさとか、激しさとか、ガッツとか。気合だー!! オィッ!! オィッ!! オィッ!!とか。それをどう呼んでもかまわないけれど、ともかく、テンションの高さがなければ試合に勝つことはできない。
文句を言われて萎縮するような選手は、試合では役に立たない。センシティブとはやさしさのことで、別の場所では美徳だったとしても。

サッカーの母国イングランドには、「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という格言があるそうだ。
サッカーは息子を大人にし、ぼくを紳士にしただろうか。
分からない。
分からないけれど、充実の三連休だった。
 
 

2018年12月25日
 

 
 

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