COLUMN
DEPARTURES
先日のシリ叩きの副作用なのか、直樹が風邪を引きまして、さすがにほったらかしで外出するわけにもいかず、ヒッキーな一日であります。
暇に飽かせて、およそ一時間半、全編見てしまいました。ネット上にアップされた小室哲哉の引退会見。
小室哲哉のことは、取り立てて好きではない。いや、むしろ嫌いだ。
会見している小室は、哀れな爺さんに見えて、同情しないでもないけれど、昔の写真を見れば、やっぱり好きじゃなかったな、という気持ちがよみがえってくる。
にもかかわらず、ぼくの青春はほぼ小室一色。
ぼくだけではない。ぼくと同世代の連中は、よほどのことがない限り、多くのタイミングでBGMは小室だったハズだ。
学生時代、音楽好きの友人が
「これだけ延々と、強制的に小室聞かされちゃ、好きなのかと錯覚するわ」
と嘆いていたことを思い出す。
そう、テレビであれ、ラジオであれ、商店街で流される曲でさえ、BGMは小室ばかり。
trfの「survival dAnce」という曲。バイト先の先輩に連れて行かれたピンサ…いや、なんでもない。この話はやめておこう。
イェイェイェイェイェウォウォウォウォ
小室哲哉の会見を見て、コラムを2つ書いた。
本当は、ひとつだったのだが、長かったので、ふたつに分けた。
レコードのA面、B面みたいなもの。
見所満載の会見だった。
そもそも、小室哲哉の人生自体が波瀾万丈。
ぼくの記憶が確かならば、小室は、長者番付の2位になったことがあった。音楽部門の、ではない。総合ランキング(って言うの?)の2位だ。
そこから、スッカラカンになって、詐欺事件起こして逮捕。
どこかで
「Get 5億 and 逮捕!」
という書き込みを見付け、腹を抱えて笑ったことを思い出す。
まさに、実写版「杜子春」とでも言えるような、転落っぷり。
しかも、そこで終わらない。
三人目の奥さんであるKEIKOが、くも膜下出血で倒れたのは気の毒だった。
二度も離婚し、漏れ伝わるオンナ絡みのゴシップは、どう割り引いても小室のゲスっぷりを示している。にもかかわらず、KEIKOとは離婚しない。意外。
ぼくは小室哲哉に対して、初めてポジティブな印象を持った。
からの、この度の不倫騒動。
「さすがTK!おれたちにできない事を平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!」
と言いたいところではあるが、ちょっと違う。別に良いじゃん、と思う。
それは、妻の介護に疲れているだろうことを情状酌量して、とか、会見で言われた「男性としての能力がなく」という言葉を信じて、ということではない。
ぼくは、不倫自体が容認されるべきだと考えている。
そろそろ、皆、ロマンティック・ラブ思想を棄てたら如何ですか?
ということを主張したい。
別に、不倫を推奨したいわけじゃない。そうではなくて、お互い(具体的には週1くらい)自由な時間を持つべきではないのか、と思うわけ。その「自由」には不倫が含まれても良いんじゃないの、と。というよりも、自由時間に何をしているのか、お互い知る必要はないでしょ。
介護の大変さを、介護したことのないぼくが語ることはできないけれど、育児だって、これはかなり大変だ。
幸い、ぼくがワンオペ育児に追い込まれるようなことは、ほとんどなかった。でも、まったくなかったわけではない。ワンオペ育児は、ホントに大変だ。
例えば、入浴。二人でやればどうと言うことはない。一人が風呂場で子どもを洗い、もう一人が脱衣所で待っていれば良いのだから。これを一人でやるとなると、途端に大変。洗うところまでは良いとして、一緒に上がってバスタオルで拭いて髪を乾かして、ということを、一体自分はどんな格好でやれば良いのか。どんな格好でも、やるしかない。そして、なんとか寝かしつけた後、水浸しの部屋を拭いてまわるのだ。
しかも、幼い子どもが二人だったら?
思い出したくもない、とまでは言わないけれど、戻りたくはないよね。
それを思えば、連日の残業で帰宅の遅くなる仕事熱心な人よりも、不倫しつつも毎日早く帰って子どもを風呂に入れる人の方が、高く評価されるべきなのではなかろうか、と思うわけです。
もちろん、残業を拒否できるわけではないのでしょう。仕事量を自分で調節できる人は少ないわけで、となれば、これは個人の問題と言うよりも、企業のブラック度とか、社会全体の問題として考えられるべきなのだろうとは思う。
まぁでも、激務で知られる某大手企業にお勤めの人に聞いたんだけどさ、「社内不倫だらけ」だそうじゃないですか。
というわけで、今後もますます文春砲が炸裂することを期待しています。
「さーて、来週のフリンさんは…」
って勢いで頑張って欲しい。社会が不倫を容認するようになる、その日まで。
ついでに言っておくと、不倫が容認されたら、不倫する人は半減すると思うよ。あれ、やっちゃいけないことになってるから、やるんじゃないのかな。ある種のスリルを求めて。
やったことないので知りませんけど!
ここまで力説しておいて申し訳ないが、ぼくは不倫に興味はない。
正確に言おう。他人の不倫に興味はない。
自分の不倫には興味がある。オレの不倫相手は、どこにいる?
先だって不倫相手を募集したのに、一件の応募もない。問い合わせすらない。
なんで?
ぼくがこの度の小室会見で、一番興味をひかれたのは、引退のことだ。
形式的には、「騒動のけじめとして、引退を決意」となっている。そう言っている。
でも、子細に聞いていけば、けじめとしての引退は、あくまで形式的なものだということが分かる。
引退自体はすでに視野に入っており、今回の一件により、それが一年早まったこと。加えて、引退セレモニーの類いは自粛する、ということだった。
引退を考えた理由は、自身の体調不良をその大きなものとして挙げたが、もうひとつ、才能の枯渇にも触れていた。
ぼくは、才能の枯渇というものについて、以前からすごく興味があった。
昔、大好きな作家がいて、ほとんどの著作を読んでいた。その作家が、久しぶりに小説を書いたとのことで大喜びで読んでみたが、これがビックリするほどつまらない。文章のノリは相変わらずであったのに、まったく楽しめなかった。結局、その作品が最後の小説となった。
それ以降、才能の枯渇について、非常に興味を持ってきた。
ある有名映画監督は、大ヒット作を連発し、評価も高かった。しかし、徐々に駄作を発表しはじめる。最後の方は、見るに堪えない、というレベル。
その監督は、結局、亡くなる。
その死について、現在でも諸説あるようだ。週刊誌に不倫をすっぱ抜かれたことを苦に自殺したとか、次回作の題材とされていた人物(組織)によって殺された、とか。もちろん、真相は分からない。しかし、才能の枯渇を苦にした自殺だと、ぼくは断定している。
大好きなコラムニストがいる。いや、これも過去形で書かねばならないのかもしれない。
かつては、連載コラムを毎週欠かさず読んでいた。そのコラムを楽しみに一週間生きていたと言っても過言ではない。
10年ほど前の話だ。
これは、そのコラムニスト本人も自覚があるのか、「東日本大震災を機に、ものの見方が変わった」という主旨の発言をどこかでしていた。
それ以降、だんだんとおもしろくなくなった。
連載は続いているが、最近は、ほとんど読むこともない。
惚れ込んだ才能が枯渇していくこと。
それは、肉親が衰えていく様を目の当たりにすることと、似ているかもしれない。
アルジャーノンに花束を。
愛しさとせつなさと心細さと。
もちろん、最期まで衰えなかった人もいる。
手塚治虫などは、その例ではないだろうか。
絶筆となった作品が3つあるが、どれもおもしろい。最後まで描いてから死んでくれよ、と思った。
早すぎる死、ということなのかもしれない。
手塚の死は60歳。小室哲哉も、60歳を区切りと考えていたそうだ。
ぼくは現在46歳。
早くしてくれなきゃ、発掘される前に枯渇しちゃうよ。
2018年1月22日