COLUMN
贈る言葉
薬局に回覧板が回ってくる。
どういう経緯かは知らないが、小学校からの「お知らせ」が不定期で挟まっている。学区が違うので、直樹の通う学校とは別の小学校。
で、意図は不明だが、その学校に縁もゆかりもない人の書いた文章のコピーが「お知らせ」とされている。
はっきり言って、たいていはつまらない。どうして学校の先生はこのテの文章が好きなのかな、とため息が出るほどにつまらない。
三回続けてつまらなければ、もう二度と読まないだろうその「お知らせ」も、今回が3回目。
こういうことがあるから困る。めちゃくちゃすごい文章だった。小学6年生が書いたというその文章、いや、仮に大人がリライトしたのだとしても見事な作文だった。
検索してみると、どうやら「作文優秀作品集」という全国小中学校作文コンクールをまとめた本からの転載らしい。
驚いたことに、その作文が掲載された本は、13年も前の出版だった。
そう、良い文章は時代を超える。
ついでにその小学6年生の女の子の名前で検索してみると、某県のNHKキャスターになっていた。美人。というのは、余談だが。
ぼくは文章が好きだ。書くことも読むことも。そして、書かせることも。
子どもに勉強しろと言ったことはないが、唯一無理矢理やらせているのが、夏休みの読書感想文。
たいてい入賞して賞状をもらってくる。という結果を自慢したいのではない。ちょっとしたやり方があるから、皆にも試してもらいたいのだ。
まず、好きに書かせる。それをそのままパソコンで打ってプリントアウト。まったく直さない。むしろ、誤字もできるだけそのまま打つ。で、
「つまんない」
とか言いながら返す。子ども、書き直す。
ということを数回繰り返せば、それなりの水準の文章にはなるのだ。
感想は言うし、誤字や文法の誤りは指摘するけれど、文章自体は直さない。少しでも手を加えたら、誰の文章か分からなくなってしまうからね。
以上はぼくが独自に編み出したメソッドなのだが、このメソッドの肝である「書き直す」ということに関して、村上春樹も同じことを言っている。興味のある方は「村上春樹 文章上達」くらいでググっていただければと思う。すぐ見付かるはずだ。
村上春樹と言えば、ほぼノーベル賞を手中に、と言われている作家。そんな大作家と同じ意見のぼくは、ほぼほぼノーベル(以下略
このメソッドに従えば、必ず賞状がもらえる、というわけではもちろんない。
この必ずではない、ということにすぐ文句を言ってくる奴がいる。直樹だ。
「お父さんに「良い」って言われたのは入賞しなかったのに「つまらない」って言われた奴は銀賞だった」
とかね。
本当に腹立たしいが、ぼくは言ってやりましたよ。親としての威信をかけて。
「審査員が節穴なんだろ」
つってね。
それ以降、この類いの件に関して、文句は言ってこなくなった。
ぼくも結果を聞けなくなったけど。
まぁ、賞状をもらうかどうかなんてのは、どうでも良いことなのだ。そんな「結果」とは関係なく、おもしろい文章を書いてもらいたいと思っている。
もちろん、毎回必ずおもしろい文章が書けるわけではない、ということは、ぼくが一番理解している。そんなことは分かっている。大切なのは、おもしろいものを書いてやろう、という意志に他ならない。
つまらない文章を書いてきたのは、由子だ。
2年前の小学校卒業文集だった。キレイに清書された紙を持ってきて、最後に親のコメントを書いてくれと言う。
一読するなり、ぼくは激怒した。あまりにもつまらないのだ。
細かい内容は覚えていないが、児童会の役員をやって成長できました。みんなに感謝。みたいなハナシだったと思う。
つまらない文章の典型。こういうふうに書いておけば大人はオッケーしてくれるんでしょ的な、ナメた態度が透けて見えるひどい文章。
「書き直せ」
「もう紙がない」
「明日学校からもらってこい」
「明日が締め切りだから」
という押し問答の挙げ句、ぼくがコメントを書くことに。こちらも正確には覚えていないが、概ね以下のように書いた。
なんだ、このクソつまらない文章は。ナメてるのか?
いいか、おもしろい文章を書くのがおもしろい奴、つまらない文章を書くのはつまらない奴だ。当たり前だろ?
まあいい。書いてしまったものは仕方がない。中学校で挽回してくれ。期待している。
と。
さっそく担任の先生から電話がかかってくる。
「書き直してくれ」
とのこと。
もちろん書き直しましたよ。由子が。
あんなに丁寧に清書してあったのに、かわいそうに。
あれから2年。
今度は直樹が卒業だ。
卒業文集は、今回も一悶着。
午後8時。直樹が原稿を書き始める。
「眠くなってから書き始めるなよ。今日はもう寝て、明日学校から帰って書きなさい」
「いや、明日が提出日だから」
ブチキレですよ。
オマエは作文をナメてるのか、と。
翌日学校を休ませて、一日中執筆。6時間。
テーブルの反対側に座ったぼくに睨まれながら、渋い顔して書いてましたよ。
そんな卒業文集が、今日返ってきた。
ぼくからのコメントは
これからはAIの時代だそうです。シンギュラリティが到来すれば、我慢も努力も必要のない世の中になるのだそうです。
ちなみに、ぼくが子どもの頃は、「一九九九年に人類滅亡」と言われていました。ご存知のように滅亡しませんでしたが。
どんな未来が待っているのか見当もつきませんが、その都度検討していくしかないのでしょう。健闘を祈ります。
教育的配慮って言うの?
ごめん、ちょっと日和った。てへぺろ。
2017年3月18日