COLUMN

 


石川直樹のこと

山に登り、写真を撮り、文章を書く。
当欄をご覧の皆さんであれば
 
「亀田亮のことだね」
 
と思っていただけるのではないだろうか。
ありがとう。

しかし残念ながら、世間では、おそらく
山+写真+文章=石川直樹
という認識だろうと思う。
ちっ、気に入らない。

ぼくが石川直樹を知ったのは、それほど昔のことではない。
写真をはじめたばかりの頃に出会った写ガールに

「石川直樹って知ってる?良いよ」

と言われたのが最初だ。
残念ながら、当時のぼくは、女子に「良いよ」と紹介された男を、素直に良いと思えるほど人間ができていなかった。
“石川直樹”をググった挙げ句に
 
「なんだなんだ、このカビの生えたような写真わっ」
 
みたいなことを言い放った気がする。
だからモテなかったのかもしれない。
そういった意味で、不幸な出会いだったと言えるだろう。

二度目の出会いは、それからほどなくのこと。
 
「そのフリース、素敵ですね」
 
と、珍しく着ているものを褒められた。
ユニクロに「職業、写真家。」みたいなキャッチコピーのでかいポスターが張ってあり、写真を始めて間もないぼくは「これ着りゃ、オレも写真家じゃねw」と、ポスターそのままのフリースを買ったのだった。

「石川直樹さんが着てるのと同じデザインですよね」
「えっ、あれが石川直樹だったのか」
「直樹さんのことがすっごく好きで、学生時代写真展に行って、サインもらっちゃいました♡」

と、当時すこしばかり仲の良かった、某女子パーソナリティーに言われた。
この時、確信したね。ぼくは石川直樹が終生嫌いだと。

しかし、実際のところ、石川直樹は女子ウケが良い。
ぼくの周りで、石川直樹が嫌いな女子など見たことがない。
ウチの奥さんですら、石川直樹が好きらしい。

「どこが良いんだよ?」
「えーっ、良いじゃん」
「あんなイモ兄ちゃんのどこが良いんだって聞いてるんだよ」
「イモが嫌いな女子はいないよ」

ちくしょー。イモになりてー。

「ぼくもイモは好きだよ」

と息子が茶々入れてくる。
腹立たしい。
息子に直樹という名前を付けてしまったことすら、腹立たしい。

アイツとオレのいったい何が違うというのか。

石川の写真における経歴で特筆すべきなのは、2011年に第30回土門拳賞を受賞していることだろう。土門拳賞は、写真では日本においてもっとも権威のある賞のひとつとされる。
一方で亀田亮は2012年に飯島町長賞を受賞している。第2回「わたしの大好きな水辺の風景」っつー写真コンテストにおいて。
飯島町というのは、我らが郷土の誇り宮崎学という大写真家が現在住んでいる場所だ。その飯島町の町長賞である。ちなみに、宮崎さんは1990年に土門拳賞を受賞している。
さらに言うならば、2013年の土門拳賞受賞者は亀山亮さんだ。
以上を勘案すれば、亀田亮も土門拳賞を受賞していると言っても、ほぼほぼ間違いではない。

テキストはどうだろう。
石川の文章はノンフィクションというジャンルになるのであろうが、強いて言うなら、紀行文。一方、こちらは奇行文。
どちらが上とは言えまい。
石川は2008年に第8回開高健ノンフィクション賞を受賞している。
一方、オレは…うっ、賞がない。
しょうがない。
ちくしょー。
アラーキーも

「賞は惜しみなく与えるもの」
 
って言ってるじゃないか。誰か、オレに賞をくれ!

うぅぅ…
こんな時は山に登ろう。
山は競争じゃない。山に登ったって偉くもなんともない。
山に登って絶景に囲まれたら、いやなことなんかすべて忘れてしまうさ。

六つの山を越えていけ。我らがヤマロク登山隊、本日目指すのは八ヶ岳連峰硫黄岳だ。

「隊長は頂を目指す?」
「う、うん…」

軽口をたたきつつ、クライムオン!
先日も硫黄岳に登っているが、そのときは濃霧に行く手を阻まれ、途中で引き返してきている。そのときのリベンジを兼ねての、本日の登山。
のハズであったが、前回に続き、今回も途中で撤退。標高2,531m地点。

「ただいま」
「どうだった?」
「いやそれが、今回も頂上にたどり着けなくてさ」
「それは残念。でも、石川直樹も途中で帰ってきたことあったって」
「へー」
「標高7,500mのベースキャンプ」
「な、なな…」

ちょ、ちょっとだけ高いね。
 

2017年2月10日

 
 

 
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