COLUMN
山に登る理由
山に登ってきた。今年最後の登山だろうか。
記録のためにとアップしている自分のサイトを見ると、今年50回分の投稿がある。
山頂直下までクルマで行ける山でも記録しているので、必ずしも50回登ったわけではないけれど、それでも良く登ったと思う。
今回は登山の魅力について書いてみたい。
ただし、あらかじめ断っておくが、おそらくこの試みはうまくいかない。
その対象がなんであれ、こき下ろすことは簡単である一方、魅力を語るということは、これはもうべらぼうに難度が高い。
そういうそもそもの話は脇に置くにしても、登山はつらくて危険だ、ということは、これはもう否定できない事実だ。
難しい。
山に登る理由を語る言葉として、もっとも有名なのは
「そこに山があるから」
というものだろう。
かっこいい。が、しかしこれ、何も説明はしていない。
むしろ説明を拒否すらしている。
あるいは、よく言われるのが
「達成感」
だ。
先日テレビで、登山が趣味という工藤夕貴が
「山登りの魅力は達成感。山頂に立つことは、ハリウッド映画の主演を射止めて赤絨毯の上を歩くのとまったく同じ達成感」
と言っていた。
うむ。
それを否定しようとは思わない。しかし、いまひとつ、ピンとこない。
ぼくだって、山頂に立てば
「良く登ったなぁ」
と思わないではない。達成感を感じないわけではない。
しかし、それが登山の魅力かと言われると、どうにも首をかしげたくなるのだ。
ぼくの持論は
「山に登ったって偉くもなんともない」
だから、そもそも達成感とは無縁のハズなのだ。
にもかかわらず、多少の達成感を感じてしまうのは、どこかで「スゲーだろ」という気持ちがなくはないのであろう。まだまだ未熟者である。
ぼくのそんな未熟さはさておくとして、ぼくが登山を始めたキッカケを話そう。
あちこちで
「昔好きだった女の子が山ガールで、その彼女に山でバッタリ再会という奇跡を期待して」
みたいなことを言ってきた。
恋愛クラスタの諸君にはわりとウケの良い話であったが、実はこれはウソだ。
まるっきりのウソというわけではないが、ぼくが好きなのは山ガールに限らない。写ガールも酒ガールも書ガールも、およそガールと名がつけば、たいていは好きだ。
写真が趣味となったとき、クルマで近所を走り回った。今日は北へ明日は南へ。あちこちへ出掛ける。段々とエスカレートして、行ったことのない、どこまで続いているのかも分からない林道に乗り入れるようになる。が、なかなか、見たことのないような景色には出会わない。
そんなふうに行き詰まっていた折、飲み会で一緒になった西村くんが
「あさって、仙丈ヶ岳に登るよ!」
と言っていたので、それに便乗したのが始まりだ。
こう言っては失礼だが、西村くんはとてもアスリート体型には見えなかった。だから、ぼくにも登れるだろう、と。そういう甘い見通しで、なんの準備もなく登ったのだ。
初めての登山で、下山時に置いてけぼりにされるというひどい目に遭ったことは未だに軽く恨んではいるが、それでも、なんだかんだで登ってきたのが3年前。
その後、誘われるがまま、あるいは、誘われずとも一人で、ちょこちょこ登ってきた。
今年に入って、道具を買い揃えてから火がつき、小屋泊を経験し、とうとう冬山デビュー。
冬山に登るなんてことは、ほんの半年前には考えもしなかったこと。
論外。もってのほか。そんな危険なこと…
そう思っていたのに、エスカレートする気持ちってのは恐ろしいもので、行ってきてしまいました。
そして、そこには想像を絶する世界が、見たこともない景色が。
見たこともない景色が見たい、というのが、ぼくが山に登る理由かなぁ。そういう意味では、ぼくの中では、旅行と似ている。旅行にもいろいろあると思うけれど、ぼくは買い物やグルメにはさほど興味がなくて、いつもと違う景色が見たい、ってのが旅する理由。
旅行はまとまった休みと、少なくないお金がないと行けないからね。そういう意味では、登山はお手軽なのだ。
つらい思いをして、自分の足で登るから価値があるんだ、みたいなのはあんまり思わない。
誰かがヘリに乗っけていってくれるなら、ヘリで行きます。ぼくは。
なんつーか、好きな女の子に会いに行くのに似ている。あの子のこういうところが好きだ、彼女の魅力はここ、なんて考えながら会いに行かないじゃない。好きだから会いたい。それがすべてじゃないですか?
だから、同じ山好きとは言っても「百名山を完全制覇!」とか息巻いてる人とはあまりお友達になれそうもない。「目指せ100人斬り」とか言ってるナンパサイボーグ君と同じニオイがするからね。
ぼくは、たとえ無名でも、ちょっと見晴らしが良さそうな山なら、全部登りたい。
ちょっとカワイイ女子全員と付き合いたい。
皆様、良いお年を。
来年もよろしく。
2016年12月29日