COLUMN

 


本「エクサスケールの衝撃」

一年が終わろうとしている。今年もなかなか濃密な一年だった。
去年も、一昨年もそう思った記憶がある。しかし、去年具体的に何があったのかは、すでにほとんど思い出さない。今年のできごとも、来年の今頃には同じように風化しているのだろうか。

今年のできごとで特筆すべきは、やはり薬局の駒ヶ根店を閉めたことだろう。
やむを得なかったとは言え、無念であったし、その喪失感はかなりのものがあった。
一方で、駒ヶ根の店を閉めたことで得たものもある。
時間だ。
もともと忙しかったわけではないが、完全に暇になった。

そんな暇な時間にぼくが考えていたのが、AI(人工知能)のこと。
もう、ずーっと考えていた。
AIがヒトの知能を超える「シンギュラリティ」が到来すると、どうなるのだろう。そればかりを考えていた。
ぼくの結論は、ポジティヴなものだ。ユートピアが訪れる。働く必要などなくなるし、それどころか、お金という概念すらなくなる。
ヒトの知能を超えるAIを想定したら、それ以外の結論はあり得ない。
ぼくは俄然、未来が楽しみになってきた。
はやくこいこいシンギュラリティ。

余談だけれど、ひとつ気が付いたのは、人智を越える存在を想定することは、それは神について考えることとほぼ同義ということ。これまでぼくは無宗教であるばかりでなく、むしろ積極的な無神論者だったわけだが、いまはすっかりシンギュラリタリアン。宗教者の皆さんの気持ちも今なら分かります。結構、穏やかな気分っすねぇ。

さて、シンギュラリティ。
シンギュラリタリアンにとって、問題はそれがいつ起きるのか、ということ。いまのところ、2045年とされている。
2045年。微妙すぎる。
70歳を過ぎてから「ユートピア」とか言われても、今更過ぎないか?すでにアタマの中がユートピアになっちゃっているかもしれないじゃないか。
というわけで、ユートピアの到来を確信しつつも、自分にはあまり関係はないかもしれないと、半ばあきらめの境地ではあった。むしろ、過渡期への不安の方が大きいとも言えた。

先日、昼飯を食べながら、なんとなくテレビをつけた。
ITベンチャーの社長という人がゲストとして登場。
「スーパーコンピュータの開発を行い、世界ランク一位を獲得…」
はぁ?何を言っているのだろう。ITベンチャーでスパコンの開発。しかも1位。スパコンとは、国家プロジェクトとして開発されるものではないのか?
その社長は言う
「次世代スーパーコンピュータが開発されれば、食糧問題は完全に解決します」
と。

いままで、AIについての記事は、日本語限定とは言え、かなり渉猟してきたつもりだ。しかし、スーパーコンピュータは、完全に盲点だった。
コンピュータの演算速度がいくら上がったところで、それだけではシンギュラリティに到達することはない。ディープラーニング(あるいはさらに別の何か)を通じて知性を得たAIだけが、シンギュラリティへの道。そう思っていたから、スーパーコンピュータに関する情報は、完全にノーマークだったのだ。

検索してみると、その社長は齊藤元章さんという、ぼくよりも3つ年長の人だということが分かった。彼のこれまでの実績は、書かれていることが本当であるならば、まちがいなく天才。
その天才が
「スパコンで解決」
と言っている。
キタコレ。
さっそく、その著作を取り寄せてみる。2年前の本だ。

「エクサスケールの衝撃」/齊藤元章/PHP研究所/3,000円(税別)

 
 
587ページもある分厚い本を、一気に読了。
スゲーーーー!
衝撃的な本だった。
序章からしてすごい。まさに教祖の口ぶり。それは福音。
そして描かれる二つの“ふろう”。すなわち「不労」と「不老」。

「不労」については、これはぼくの導いた結論と同じであった。もちろん、ぼくの知らないことが数多く書かれていたのだが、それはそれとして、それらはすべて想定の範囲内。だいたいからして「お金という概念はなくなる」という、ある意味究極にぶっ飛んだ結論が同じであるならば、その他はセコい話でしかない。

一方「不老」については、予想を超えていた。
ぼくの予想では
「スーパーコンピュータの性能が100倍になれば、例えば今年スパコンで開発された新薬のうちでもっともインパクトのあった薬、そのレベルの新薬が年間100、つまり週に2つ開発される」
という程度のものだった。
これだって相当なことだと思うのだが、そんなセコい話はどこにもない。
さらにぶっ飛んだ話だった。
どこでもドア、出てきた。
いやこれも、なるほどと思わせるだけの根拠のある話で、納得はできる。要するにヴァーチャルリアリティの話だ。
あるいは、アンチエイジングとか鼻で笑っちゃう、文字通りの不老についての記述。さすがにこれはちょっとエグいなと思ったが、著者の齊藤さんは、元々医師なのだ。

これら、二つの“ふろう”は、シンギュラリティが起きるまでもなく、次世代スーパーコンピュータによって10年以内にもたらされる。それを「プレ・シンギュラリティ」と呼ぶ、というのが本書の論旨。
バンザーイ。

というところから、大失速の最終章。
最終章は「日本人が次世代スパコン開発で世界をリードすべき」というような話になってしまう。なんだそれ。
おそらく想像するに、念頭にはあの「2位じゃダメなんですか?」という事業仕分けがある。あれによって、スパコン開発プロジェクトが止まりかねなかったという危機感から、政治的な意図を持って書かれたのが本書なのであろう。
「スパコン開発の邪魔をしないでくれ」
「できれば、応援して欲しい」
そんな思いから書かれているのではなかろうか。あくまでもぼくの想像ですけど。

いずれにしろ、どう考えたって、プレ・シンギュラリティ後に、国家なんて概念が存続するはずはないのだ。
その後、家族という概念もなくなるだろう。
そして、シンギュラリティの到来の暁には、個人という概念すらなくなるに違いない。

お気づきだろうか?
そう、これは「人類補完計画」なのだ。
というわけで、「エヴァンゲリオン」が好きだったような方は、読んでみて。
エヴァは未見でも、SF小説が好きという方なら、絶対に楽しめると思います。
でも一番は、人生に絶望しているような人に読んでもらいたいかな。明るい未来が待ってるよ、って話だから。

ただしシンギュラリティが到来せず、或いは間に合わなかったとしても、当薬局は一切関知しないからそのつもりで。
 

2016年12月20日

 
 

 
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