COLUMN
おもしろい話
奥さんに
「おもしろいから、観よう!」
と誘われ、ここ3回ほど観ているのが「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマだ。
うむ。おもしろい。
めちゃくちゃおもしろいと言っても良いかもしれない。
どこまでもバカバカしい恋愛ドラマなのだが、
「あー、恋愛って良いな。恋愛してた時代に戻りたい」
「いや、恋は遠い日の花火ではないかもしれないゾ」
「きゃーうっそー」
などというやりとりを妄想してしまうほどに、おもしろい。
ガッキーも星野源も、一気に好きになった。
DVDが発売されたらソッコーで買うつもりなので、乗り遅れてしまったという人は、是非連絡をくれ。生中一杯で、貸し出そう。
一方で、クソつまらないドラマもある。
BSプレミアムで放送されている「山女日記~女たちは頂を目指して~」というのが、それだ。
「頂を目指す?けっ、冗談は雷鳥だけにしてくれよ」
「まったく」
「頂を目指すのは結構だけどさ、結果3位だからね」
「3位じゃダメなんですか?」
「はっはっはっ。良いんじゃないの?敗者復活戦、がんばってよ」
最近の趣味は登山。というわけで、タイトルに釣られて録画してみたのだが、これがウソかと思うほどにつまらない。このドラマとはまったく関係のない松本山雅に、皮肉を言いたくなるほどにつまらないのだ。
今後どんな展開になるのかは知らないが、少なくとも第一回目は恋愛模様だった。
「うわぁぁぁ、恋愛とか、もうマジ勘弁」
「ホントだよ。もうそういうのいらないよね」
というのは、我々結婚14年目夫婦のリアルな会話だ。
恐ろしいことだ。
どちらも「恋愛ドラマ」というジャンルにカテゴライズされるだろう二つのドラマ。しかし、その評価は天と地ほど違う。
おもしろさ、というのは実に難しい。
「逃げ恥」も「山女日記」も、原作がある。プロデューサーなのか誰なのかはともかく、それを読んで「これはおもしろい。ドラマ化しよう」と思った人がおり、それに共感した人がいたからこそドラマとして完成しているはずなのだ。ぼくはいずれも未読だが、きっとどちらもおもしろい物語なのだろう。
にもかかわらず、明暗は分かれる。
ならば、脚本の差なのか。
そうかもしれない。
しかし、これ以上おもしろい大河ドラマが今後作られることはないだろう、とさえ思える「真田丸」の脚本を書いた三谷幸喜であっても、少なくない駄作を世に送り出している。
本当に、おもしろさというのは難しいものなのだ。
ぼくはずっと、おもしろさとは物語と台詞が握っている、と思ってきた。それを、脚本と呼んでも良いかもしれない。
おもしろい話は、おもしろいんだよ、と。
それは当たり前すぎて、検討の余地のないほど自明の真理だと思ってきた。
いまも、半分くらいはそう思っている。
でもそれだけではないのではないか?
そう思うようになったきっかけは、落語を聴くようになったこと。
ご存知のように、落語とは、(一部の新作を除き)知っている話を聞かされる。
そして、話自体はしょーもない話ばかり。粗筋とオチだけ聞かされたとしたら、クスリとも笑えない、そんな話ばかりだ。
にもかかわらず、ぼくは同じ落語のCDの同じ場所で、毎回同じように吹き出してしまう。
これは一体どういうことなのだ?
CDでしか聴いたことがない、という落語家も加えて良いのなら、ぼくが好きなのは志ん朝と文珍だ。おもしろい、というのとは少し違うが、小朝は天才だと思った。素直に笑いたければ小遊三が良かった。
しかし、ぼくに究極のおもしろさと落語の奥深さを思い知らせたのは、瀧川鯉昇だ。
鯉昇を初めて聴いたのは、愛橋の真打昇進披露公演のあった浅草演芸ホール。
そのときまで、瀧川鯉昇の名前すら聞いたこともなかった。そんな鯉昇が現れ、座布団に座る。お辞儀をし、顔を上げ、一拍おいて、ぼくは笑い出す。いや、ぼくだけではない。客席の多くは、鯉昇がまだ何もしていないのに思わず笑ってしまうのだ。
意味が分からない。鯉昇はまだひと言も発していない。そこに物語も台詞もない。
おもしろい顔なのか、と聞かれれば、おもしろい顔だと答えるが、かと言って顔だけで無条件に笑えるものでもない。
それは空気としか言いようのない、あるいは間とでも呼べば良いのか、ともかくその独特な雰囲気が、ぼくらを笑わせるのだ。
そろそろ、賢明な読者諸氏はお気づきだと思う。
さよう、これは宣伝だ。
来週の火曜日、11月29日に、駒ヶ根文化会館にて、落語会が開かれる。
実はこの落語会、少なくとも名目上は、ぼくのイベントなのだ。
ことの経緯を説明すると長くなるので割愛するが、文化会館から依頼され、安請け合いした挙げ句、どうにもならない状況に追い込まれているのが、現状だ。
「愛橋が本気で面白いと思う芸人を呼びました」という公演タイトルは、ぼくが発案したし、瀧川鯉昇を呼んでくれ、と愛橋に頼んだのも、ぼくなのだ。
2012年の愛橋真打昇進披露駒ヶ根公演は、千枚札止めの超満員。あれから4年が経ったとは言え、黙っていても半分くらいは売れるだろう、とは誰でも思いませんか?まさか半分の半分とは。
赤字分は誰が負担するのか、ぼくと愛橋の間で無言の駆け引きが現在も繰り広げられている。ちなみに、仮に利益が出ても、ぼくの懐には一銭も入らない仕組みだ。ハイリスクノーリターン。むしろノータリーン。
宣伝とは言ったが、先に述べた瀧川鯉昇の話は本当だ。本当に鯉昇はおもしろい。
諸君がこの先、瀧川鯉昇を聴く機会が果たして何度あるだろう?この機会を逃してしまうことは、とんでもなくもったいないことだと思うぞ。
騙されたと思って是非聴きに来てくれ。
もし、実際に鯉昇を聴いてみて、「騙された、つまらない」と思ったなら、そうだな、ぼくと君とは「おもしろさ」を共有することはこの先もないだろうから、手切れ金代わりにチケット代を返金するよ。
この度の公演が赤字でなかったなら、ではあるが。
2016年11月25日