COLUMN
映画「君の名は。」
大ヒット上映中、映画「君の名は。」を観た。
ネタバレはない(と思う)。公式サイトの予告編の範囲で内容に触れている。
まず、良い点を挙げよう。
SF映画としては、おもしろい。
入れ替わりの物語。入れ替わりと言えば大林宣彦「転校生」。「転校生」をアレとくっつけるのかー。へー。というカンジで、感心する。「転校生」とアレのいいとこ取り。なるほど。
プロットは良かったのだ。
入れ替わるのが、男女ではなく、同性同士だったなら、傑作だったのではないだろうか。
あるいは男女の入れ替わりであるなら、今時っぽく、トランスジェンダーなハナシに振っても良かったかもしれない。
そう、つまり恋愛映画としてまるっきりダメなのだ。
主人公の一人である神社の娘が、紐を編むシーンがある。その紐が運命の赤い糸のメタファー。いや、メタファーになどなっていない。まるっきりベタに運命の赤い糸。
運命の赤い糸で結ばれた相手を探す物語。
中高生御用達、というのはそういうことだ。中高生、百歩譲って二十歳前後まで。そんな皆さんがこの物語を楽しむのは、むしろ健全なことかもしれない。
あるいは、中高年が「若い人はいいねー」的な見方をしているなら、それはそれで微笑ましい。
ただ、中年がベタに「いい!」とか言っちゃってるようだと、これは目も当てられない。
その中年が独身だとしたら、「そんなんだからいつまでも結婚できないんだよ」と言ってやりたいし、その中年が既婚者だとしたら、不倫でどつぼにハマるタイプ。
いつまでも運命の人を探しているから結婚できないし、「運命の人は結婚相手ではなかった。この人(不倫相手)だった」と思っちゃうからどつぼにハマる。
いずれにしろ、ろくでもない。
ちなみに、遊びで不倫するタイプは、この映画を鼻で笑いつつ利用するのではないかと思う。想像ですけど。
関係というのは、あらかじめ運命の糸で結ばれてはいない。
これは昨日、同級生への追悼文に書いたのと同じハナシだ。
恋愛であれ結婚であれ、友人であれ親子であれ、あらゆる関係は、運命の糸で結ばれていれば成就する、という、そんな簡単なものではない。
キザな言い方をするなら、運命の糸は、二人で紡ぐもの。そしてある日、糸を紡いだ日々を振り返り、「あれれ、結ばれちゃってたね」と気付くもの。
関係とは、日々の小さなことの積み重ねによって、構築される。
だから、運命の赤い糸で結ばれた相手を探す物語、なんてのは
「ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ 」
ってのが中年の正しい観賞態度なのだ。
SF映画としては秀作。恋愛映画としては駄作。
そしてどう考えても、ストーリーの核は恋愛部分にある。
というわけで、「しょーもない映画」という評価になりました。
好きな人には、ごめんなさい。
ついでなので、気になった点をいくつか。
二人の主人公を筆頭に、登場人物の誰も、キャラが立っていない。これは映画としては致命的だと思う。
風景は美しく、リアルに描き込まれている。しかし、リアルであるが故におかしな点が気になって仕方ない。一例を挙げると、山の中にスズメはいないゾとか。まぁ、これ気になるのは鳥屋だけだと思うけど。
もっとも、批判するのは簡単だ。ケチをつけようと思えば、なんにだってつけられる。
と言うわけで、カメダイチオシの恋愛映画を紹介しよう。是非観てくれ。
まずひとつ目は、「猟奇的な彼女」(2001年/韓国)だ。
テンションの高さがたまらなく良い。
もうひとつは、恋愛映画というよりは青春映画なのだが、「あの頃、君を追いかけた」(2011年/台湾/日本では2013年公開)。
どちらもアジアの映画であるのは、たぶん偶然ではない。
恋愛という概念、ロマンチック・ラブ思想は、ヨーロッパから輸入されたものだが、これが日本人、もっと言えばアジアのエートスには合わなかったのではなかろうか?
ロマンチック・ラブ思想をこじらせたことが、3組に1組が離婚するという現代日本における結婚生活の困難さの原因ではないかと思うのだが、どうだろう。
おっと。小難しいハナシになってきてしまったので、この辺で。
2016年10月2日