COLUMN

 


もらい泣き

葬式があった。
同い年の女性。中学では隣のクラス。部活が同じだった。
彼女の夫とは、小学校で同級。
彼らの娘さんが、直樹と同年。保護者会の役員を一緒にやったり。

そんな因縁浅からぬ仲、と言えば、そう言えなくもない。
参観日や、買い物先のスーパーでぼくを見付け、親しげに話しかけてくれた。話しかけられると、ぼくも嬉しかった。
ただ、そこまでの関係と言ってしまえば、そう言えなくはない。
示し合わせて飲みに行ったり、家族ぐるみで遊んでいたわけでもない。
親しく話しかけてくれたのは、おそらく誰に対してもそういう態度だったのだろうと思う。いずれにしろ、彼らにとって、ぼくが特別な存在だったわけではなかったはずだ。

にもかかわらず、泣けた。
いままでに、近しい人を含め多くの葬式に出席し、泣いたのはただ一度きり。
にもかかわらず、泣いた。
いま思い出しても、泣ける。
なぜだろう。

夫婦の出会いは、高校時代だったらしい。同じ中学に通っていたはずだが、そこは一学年10クラス、400名を超えるマンモス校。お互いの存在すら知らなかったそうだ。
ということを、取材で知った。
我々の中学では、40歳になる年に「厄年会」と呼ばれる同窓会が大々的に開催される。様々なイベントが開催され、記念誌も発行される。
ぼくは、記念誌部会の部会長だった。
ぼくの発案で、おなじ学年同士で結婚した二人を特集するという企画。その取材。

取材した6組12名のことは、みな良く覚えている。
彼らもまた、印象深い夫婦だった。
多くの人は、この取材に照れた。彼もまた照れてはいたが、彼女は違った。
彼への愛情を隠そうとはしなかった。

「生まれ変わってもまた一緒になりたい」

と断言した。

とても仲の良さそうな夫婦だった。
おそらく、その仲の良さこそが、ぼくを泣かせた理由だと思う。
夫婦であれ親子であれ、仲の良さは、あらかじめそこに備わっているわけではない。日々の、小さなことの積み重ねによって構築されるものだ。
そうやって築かれた関係。仲が良ければ良いほど、別れの悲しみは大きくなるのだろう。
大きすぎる悲しみ。ヴァーチューとミメーシス。ぼくは泣いた。

プロポーズの言葉は「年をとっても一緒にいたい」だったそう。
年をとったと言うには、早すぎる死。

葬儀会場には、取材の時にぼくが撮影した写真も飾られていた。
言葉もない。
 

2016年10月1日

 
 

 
ページの先頭へ