COLUMN
称賛の勝算
薬局関係ルンルンルン。こんにちは。りょうちぇるです。
最も古い部類に属する友人は、税務署に勤めています。そんな友人に言われました。
「亀田は税務署員に向いてる。マルサも行ける」
「へへへっ。なんで?」
「お金好きじゃん?」
「はぁ?」
「他人のアラ探しが得意じゃん!」
「…」
「脱税をバンバン見つけられると思うんだよね。税務署に来なよ」
まったく褒められていない。マルサという響きに、一瞬でもクラッときた自分が恨めしい。
「ふざんけんなよ」
と言いたいところではある。
が、正直、思い当たる節もある。
昔から
「他人の悪口だけは一級品だね」
と言われてきた。
反省している。確かに性格は悪かった。
でも、性格なんて、変えられるだろ?
最近は、他人を褒めることにしている。
高山の「治るという前提でがんになった」の書評が好評だ。
褒めた。褒めまくった。むしろ、褒めすぎたかもしれない。
けれども、会う人会う人
「あれ良かったねぇ」
と言ってくれる。
遠方の友人は、わざわざメールで
「あれは良かった」
と言ってきてくれた。
高山を褒めたはずが、ぼくが褒められる。
悪い気はしない。
性格が悪かった頃の自分に、教えてやりたい。
他人を褒めろ。そうすれば自分も褒められる。
先日、友人が営む伊那市の某服屋に遊びに行った。奥さんが出てきて、ぼくのことを褒めてくれた。
「文章上手ですね。いくつか読ませてもらいましたけど、すごくおもしろかったです。実はアタマが良いんじゃないかって思いました」
あるいは、高校の同級生が言う。
「ある意味、アタマが良いよね」
アタマが良い…
なんと麗しい響きだろう。
一方で、米山家におけるぼくの立ち位置とか、ちょっとお菓子な女子にどう思われているのかがよく分かった。
「実は」とか「ある意味」ってなんだよ?
褒めるなら、ストレートに褒めてくれ。
ひとつ教えてやる。
褒めすぎなくらいで、ちょうどいいんだぞ。
引き続き、各方面からの賞賛をお待ちしていまーす。
2016年9月22日