COLUMN

 


本「治るという前提でがんになった」

新年度が始まって間もない頃、物理部が部室の前でパソコンを立ち上げていた。新入生を捕まえてはキーを叩かせている。表示されるいくつかの質問に答えると、入部すべき部活をコンピューターが示してくれるという。
何のことはない。どの質問にどう答えようとも「あなたが入部すべきなのは物理部です」と表示されるように出来ている。
新入生は誰もが戸惑っていたが、ぼくは感心していた。

当時、ぼくはパソコン好きを自認していたが、ぼくにとってのパソコンは、ほぼ単なるゲームマシン。ソフトを買ってきてロードするだけ。まさか同じ年の高校生にプログラミングが出来るとは、夢にも思わなかった。
同級だった物理部の勝野に話しかけた。

「物理部、スゲーな」
「いや、あれ全部高山が作ったから」

高山スゲー!というのが、ぼくの高山に対する第一印象。高二だったか、高三だったかの春。
高山とはクラスが違ったので、取り立てて交流はなかった。交流はなかったが、あるいはなかったが故に、自分の中の「スゴい奴リスト」に高山の名前は刻まれ続けた。
きっと、偉大なエンジニアになるのだろう、と勝手に思っていた。

高三の夏。
勝野が話しかけてきた。

「高山って知ってるよな?」
「知ってるよ」
「文転するんだって」
「ブンテン?」
「理系から文系に進路変更すること」
「え、高山ってバリバリの理系じゃないの?」
「理系だよ」
「その高山が、ありをりはべりいまそがり?」
「う、うん」

出来る奴は何でも出来るそうで、高三の夏に文転したにも関わらず、当時の私立文系最高峰の大学に合格したらしい。
よくは知らない。早くから私立理系一筋のこっちは、浪人することが決まり、それどころではなかった。

それから、十数年の時が流れただろうか。
久しぶりに、勝野に会った。

「高山ノリさん、覚えてる?」
「覚えてるよ」
「起業して大成功してるよ」
「高山スゲーーーー!」

こうして、ぼくの中では、高山はスゴい、というイメージが定着した。
40になる年に大々的に開催された同窓会では、200名を超える参加者の中から高山を探し出し、親しげに並んで写真に収まった。
高山はきっと戸惑っただろう。
「そんなに親しかったか?」
と。
その戸惑いは正しい。大して親しくはなかった。
でも、肩組んで写真に撮られたんだから、もう友達だろ?

先日の夏の飲み会でも、高山の隣に座っておしゃべりに興じた。

「今度、本を出版するよ」
「おお、素晴らしい。50冊買うよ」
「ホントか?」
「友達ならあたりまえ」

ぼくは元来がお調子者なのだ。しかも、酔っ払って気持ちが大きくなっている。ちょっとしたリップサービス。飲み会における戯れ言。高山も分かってくれるハズ。

飲み会から二週間が経った。
一冊の本が届く。高山からだ。
著者から献本されるのは、初めての経験。しかもあの高山から。ちょっと感動。
が、感動もすぐ冷める。
メッセージが添えられていた。

「50冊、期待しているよ(笑)」

アイツもかなりのお調子者じゃねーか!
まぁでも約束は約束だ。薬局で仕入れて店頭で売るよ。
内容も素晴らしいものだったからな。

長い前置きだった。むしろ長すぎたかもしれない。
友人が本を出版した。

「治るという前提でがんになった」/高山知朗/幻冬舎/1,100円+税

 

父親と妹をがんで亡くした友人は、自身も2度がんにかかり、そして、生還した。その闘病記。
2人に1人ががんになる時代。
3人に1人ががんで死ぬ時代。
そんな時代に必読の書。

というのは、通り一遍の紹介だ。単なる営業トークとは言わないが、大した紹介にはなっていない。
ぼくがこの本を読んで一番感心したのは、高山のアタマの良さだ。

「高山はアタマが良い」

というのは、同級生なら誰もが言う。成績が抜群に良かったから。
一方で

「成績とアタマの良さは関係ない」

というのは、劣等生の常套句。
ぼくもそう思っている。
そして、高山のアタマの良さは、成績とは関係のない、真のアタマの良さ。

文章のわかりやすさからもそれは感じるが、それだけではない。
病院選び、治療方針、5年生存率…、高山は、徹底的に調べ、とことん議論し、納得した上で、受け入れていく。
文字ベースで眺めてみれば、当たり前のことのように感じるかもしれない。しかし、それが出来る者は少ない。きわめて少ない。

多くの者は、がんという現実を前に思考停止に陥る。
「私には何も分かりませんから、先生にすべてをお任せします」と丸投げした挙げ句、望み通りの結果にならなかった場合は、一転して逆恨みをする。
こういうケースは、薬局でぼんやり眺めている範囲に限っても、驚くほど多い。
さらに、少なくない者が、「がんもどき理論」に飛びつき、製薬会社をはじめとした医療関係者の陰謀論を唱える。
そういう気持ちも分からなくはない。がんにかかることが何かの罰でない以上、それは理不尽なできごとだ。理不尽に対するやり場のない思い。だから、そんな気持ちも分かる。でもやはり、あまり賢い態度とは思えない。
もっと言えば、すべての患者が高山のような賢明さを持ち合わせていたなら、この国で「医療崩壊」などという言葉が叫ばれることはなかっただろうし、誰もが、もう一段質の高い医療を受けられていたはずだとすら思っている。

意外かもしれないが、ぼくは何よりも知性を愛している。自らも可能な限り知的でありたいと思っているし、それ以上に、知的な人を尊敬している。
高山は、知性によってがんに打ち克った。
その全記録。知を愛する者にとって、まさに希望の書。
ばかでない諸君には、是非、読んでもらいたい。このいささか暑苦しすぎる推薦文に免じて、是非とも、読んで欲しい。発売は、9月8日だそう。

そして諸君には、ひとつ頼みがある。
できれば、この本を飯島亀田薬局で購入して欲しい。
50冊仕入れるに当たり、亀田薬局の社長である母に、一応相談した。

「友達が本を出したよ」
「へー、スゴい」
「薬局で売ろうと思うんだけど」
「いいじゃない」
「ここにドーンとならべてさ」
「ドーンって、いいけど、何冊並べるつもりなの?」
「50冊」
「あんたバカァ?この田舎でそんなに売れるわけないじゃないの」
「いや、でも約束しちゃったし」
「だったら、あなたの小遣いで買いなさい」
「ちょ、待てよ」

亀田薬局は、薬局であって本屋ではない。仕入れと言っても、定価で本屋から買ってきて並べるだけだ。リスクはあるがリターンはない。
しかも、オレの自腹。
頼むから、亀田薬局で買ってくれ。
お願いします。お願いします。
 
 
【幻冬舎】「治るという前提でがんになった」高山知朗
 

2016年9月5日

 
 

 
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