COLUMN
思い通りに
天狗岳に登った。北八ヶ岳の最高峰2,646m。
すっきりとした青空とはいかず、強風に悩まされたけれど、充実の登山。楽しかった。
一緒に行ったのは、先週と同じく、米っちょ。
米っちょは、高校の同期。高校時代はクラスが違うこともあり面識はなかった。卒業後、飲み会で何度か一緒になり、なんとなく気が合い、たまに一緒に遊んでいる。
気が合うのは、たぶん、お互い商売人だからだと思う。
商売人どうし、より正確に言えば、商家に育った者どうしは、なんとなくひかれ合う。
典型的なサラリーマン家庭に育った奥さんと結婚して分かったけれど、サラリーマン家庭と商家では、文化がまったく異なるのだ。
もちろん、商売人なら誰とでも気が合うわけではないし、サラリーマンの誰とも気が合わないわけでもない。数えてみれば、気が合うのは商売人の2割、サラリーマンの1割という、そんな程度の違いだろう。
それでも、やっぱりぼくは、商売人特有のいい加減さが好きだ。
商売人は、その根本において
「儲かるなら何でも良いよ」
と考えている。
だから、いい加減。
たまに、すごくきっちりした商売人もいるけれど、ちょっと意地悪な言い方をすれば、
「あんまり儲かってないんじゃないのかな」
と思ってしまう。
そう、きっちりやったからといって儲かるとは限らないのが商売。いい加減だって、儲かるときは儲かるのが商売なのだ。
才覚のある者が努力をしても、結果は神のみぞ知る、というのが商売の本質だと思う。
以前にも紹介したような気がするが、「おじいさんのランプ」を是非読んでくれ。
もちろん、いい加減だから商売人が好き、というのでは、あまりにも矮小化した言い方だ。
自分で商売をやることの大きな魅力のひとつは、目の前にある選択肢の中から、好きな選択肢を自分自身で選べること。もっと言えば、選択肢自体を自ら考え出すことだって可能だ。その能力があれば、だが。
思い通りにやって良い、それこそが商売人の特権。
もっとも、思い通りにやって良いということと、思い通りの結果が得られるということには、なんの関係もない。
そういう意味で、映画「ゴッドファーザー PART 3」が面白い。映画通は「PART 3」を「蛇足」と酷評するようだが、ぼくは「PART 3」が一番好きだ。
アル・パチーノ扮する主人公は、すべてを意のままに操ることができる。にもかかわらず、まったく望んだ結末にはならない。
「PART 3」を見終わって初めて、あの「The Godfather」の操り人形ロゴの意味が分かる。傑作。
脱線した。
実家に戻り、商売人として歩み始めて、およそ15年。
ここ数ヶ月が、今までで一番憂鬱だ。思い通りとはほど遠い状況。
そんなとき、登山に誘ってもらえると、とても嬉しい。
これが飲み会だったりすると、グダグダになりかねない。というわけで、ここ一ヶ月ほどは(ほぼ)禁酒している。
登山は良い。
頂上に立ったときの爽快感も格別だけれど、それよりも、一歩一歩自分の足で歩くことが、今のぼくには必要な気がする。たとえ足が痛くなっても、降りてくるまでは逃げ出すわけにもいかない。誰も代わってはくれない。
空よ!雲よ!山よ!友よ!
米っちょ、ありがとう。
「いや、まじめな話、亀ちゃんしか誘える人いないよ」
「う、うん(涙目)」
「普通の人は、みんな仕事してるじゃん」
「……あぁ?」
亀田薬局は、本日も営業中です。
2016年5月25日