COLUMN
本「嫌われる勇気」
こんにちは。嫌いな言葉は“One Soul”、亀田です。
「そういうこと言うと、嫌われるよ」
「そこは「嫌われる勇気」でしょ」
「なにそれ」
「だいたい、One Soulって「課題の分離」ができてないから言えちゃう台詞だよね」
「それを言ったら、エスパルスの団結清水だって同じじゃん」
「そっちは「共同体感覚」だね。「人間の最終的な幸福」はそこにあるから」
アドラー心理学がブーム、らしい。
チラッと見た、新しい朝ドラの家族にもその影響が見て取れて、思わず笑ってしまった。
「嫌われる勇気」/岸見一郎・古賀史健/ダイヤモンド社
ここで書かれていることに、100%の同意ができるわけではない。
親子関係については、ここでの指摘が正しいとは思えないし、「原因論」を完全に退けておきながら、ところどころで因果律については認めているというのは、なんとなく消化不良な気がする。
でも、全体としてはすごくまっとうな、むしろ当たり前のことを言っている。
遠慮せずに言うならば
「それ、オレが以前から言ってたことだよな」
という内容。
ぼくは読みながら仏教的だなと思っていたけど、本書の中では、アドラー心理学はギリシャ哲学の延長線上にある、と書かれている。なるほど。
少し大げさな言い方かもしれないけれど、本書は悟りの書なのだ。
「悟り」という単語は一度も出てこないけれど、悟りを開くとはどういうことなのかが書かれている。
そして、悟りを開くことを促す。
悟りを開くとは、拘泥しなくなるということだ。
自分が何に拘泥していたのかを知るだけで、日々の生活に息苦しさを感じている人は、ずいぶんと楽になるだろう。
ただし、それを知ったからと言って、拘泥せずにすむようになるかと言えば、もちろんそんなことはない。
「承認欲求の否定」を理解してなお「モテたい」と思ってしまうぼくが良い例だ。
承認欲求を否定する本書が、ミリオンセラー。
人気者になりたいぼくの読者は、20名(オレ調べ)。
ふっ。
理解と実践は違うのだ。ということも書かれてはいるが。
楽にはなるが救済はされない。
誰もが悟りを開き、如来になれるわけではない。
ただ、悟りとは何かを知れば、菩薩にはなれるのかも。
日々の忙しさに追われ、毎日を生きていくのが精一杯、という人が悟ることは、なかなか難しい。
考えてみれば、釈迦だって、王子様として生まれた生粋のぼんぼんだ。お金を稼ぐ必要のない人間だけが、悟りを開けるのだろうか。
もし良ければ、だが、コラムを書くことをオススメする。
コラムを書くというのは、嫌われる勇気を持つことと同義だ。
好かれようと思って書かれた文章なんて、ぜんぜんおもしろくない。
だから、嫌われる勇気が必要。
ただ、ぼくも嫌われたいと思って書いているわけじゃない。
できれば、愛して欲しい。
2016年4月14日
2017年3月24日 reviced