COLUMN
AIしてる
先日、AI(人工知能)について書いた。
書いたと言っても、ちょっと小耳に挟んだネタを転がしたにすぎない。
が、あれ以来、AIのことをずっと考えている。
AIの進化に伴って、いったい、世の中はどうなっていくのだろう?そのことをずっと考えている。
「IT革命」と騒がしかった頃、ぼくは、あるITベンチャー企業にいた。
社長が「ベンチャーキャピタルが8,000万円出資してくれることになった」と喜んでいたことを思い出す。だが、その1年後にはもう、会社は潰れていた。そう、1年後に潰れるような会社に、ポンと8,000万円を出す会社が存在する程度には、熱気に包まれていた。
そんなふうに、熱気を感じつつも、ぼく自身は割と冷めていた。
IT革命とは言っても、所詮は産業革命の延長線上にあるじゃないか、と。
「道具が代わるだけだろ?」
そう思っていた。
IT革命を冷めて見ていたぼくが、IT革命の延長線上にあるAIの登場に怯えている。
そう、怯えている。
年齢のせいかもしれない。
加齢によって、変化に対応できなくなっているに過ぎないのかもしれない。
しかし、ぼくはAIに対して
「道具が代わるだけだろ?」
とは思えない。
AIは道具なのだろうか?
確かに、クルマの自動運転を行うAIは道具だろう。
「翻訳ツール」も、ギリギリ道具だろうか。10年後には言葉の壁はなくなるらしい(言葉の壁は崩壊寸前-翻訳ツールが切り開く未来)。「言葉の壁はなくなる」というのを、怪しい翻訳文で読まされても今ひとつ説得力に欠けはするが、ともかく、言葉の壁はなくなるのだそうだ。
無条件、というわけにはいかないだろうが、道具の進歩は歓迎したい。
世界で最も強い囲碁棋士の一人イ・セドルとAIアルファ碁が対戦する。
衆生が記事を書いている(囲碁AI、トップ棋士に挑む 9日からソウルで5戦)。
そして、セドルは負けた。
何年か前、チェスのチャンピオンがコンピュータに負けたことはご存知の方も多いかもしれない。
「チェスで勝てないんだから、囲碁で勝てなくても驚くべきことじゃないだろ?」
と思うかもしれない。
しかし、驚くべきことなのだ。
同じ「勝ち」でも勝ち方が違う。
チェスでは、コンピュータがすべての指し手を解析し、いわば力尽くで勝った。
囲碁においては、スーパーコンピュータを持ってしても、「宇宙の原子よりも多い」と言われるすべての指し手を解析することは不可能。だから、これまでコンピュータの実力は、トップクラスのアマチュアレベルと言われていた。
以前、衆生と飲んだとき、その話になった。
チェスはすでにコンピュータが勝利している。将棋も、実質的にはコンピュータの方が強いとされている。さて、囲碁はどうか。
「大丈夫だよ、心配するな。いざとなったら、碁盤を広げれば良いんだ」
というぼくのアイディアに、衆生は爆笑した。
計算が追いつかない広さにすれば、コンピュータは無力だ。
ぼくらは、囲碁の未来に希望を見た。
しかしそれは、まるで見当外れのアイディアだった。
今回のアルファ碁の勝利は、演算処理による勝利ではない。AIは囲碁を理解し、世界最強棋士に勝利した。たとえ碁盤を広げようとも、この先、ヒトが勝つことはないだろう。
AIは道具だろうか?
道具とは、目的のために利用されるものだ。
AIはヒトの道具のままでいてくれるのだろうか?
アルファ碁の指示通りに石を置くヒト(グーグルディープマインド社職員)は、まさにAIの道具だった。
今回のアルファ碁の勝利。それは、AIにとっては小さな一歩だったかもしれないが、人類にとっては大きな一歩だったのではないだろうか。
AIがある日、パスカルをパロったジョークを言う時が来るのではないかと、本気で恐れている。
「人間は考えるICである」
と。
(参考)
「囲碁の謎」を解いたグーグルの超知能は、人工知能の進化を10年早めた
2016年3月9日