COLUMN

 


仕事の流儀

NHK朝の連ドラ「あさが来た」を楽しく観ています。
働かない御主人様が主人公という画期的内容で(違)、ついに時代がぼくに追いついたかと感慨深く思っています。

年末年始に、普段会わない方々と話をする機会がありました。
その中で印象深かった話を紹介したいと思います。

ひとつは、同い年のエリートエンジニアの話。
誰もが名前を知る大学を卒業し、誰もがその名を知る企業に就職。半導体関係の開発に携わっていました。その彼が今年度末をもってリストラされることに。
もっとも、この度のリストラは、明らかに会社の問題です。4万人を超す従業員を抱える巨大企業ですが、そのうちの1万人をリストラ。彼の所属する事業部ごと別の会社に譲渡されるとのこと。
譲渡先も有名な大企業ですから、本人にも(もちろん不安はあるでしょうが)さほどの悲壮感はありません。

「工場で働く社員も含めて、全員で移籍するんだ」
「ほう」
「ただ、数名だけ移籍できない人がいて」
「えっ、なんかやらかしたの?」
「いや、たまたまA社の担当なんだよ」

A社との契約が決まった後にリストラが決定。事業部ごと別会社に譲渡することが発表されました。その発表をきいてA社が激怒。これから発売する(A社にとっては最重要と言える)商品の最重要な部品の調達を、その会社に決めたばかりなのですから、怒るのも無理ありません。

「最後まで責任をもって対応しろ」
「ハイ分かりました。担当者は全員残します」

というやり取りがなされたのかどうかは定かではありませんが、A社向けの製品を開発していた担当者は、譲渡先への移籍ができないのだそうです。
「今後は開発をしない」と決めた会社に残り、最後の製品のフォローのために残る開発者。その製品のサイクルは2年。

「2年後、オレ達はどうなる?」

というのは、その社員にとってみれば当然の疑問でしょう。
会社からの回答は

「わからない」

だったそうです。
知人はA社担当でなかったことに胸をなで下ろしていましたが、それにしても、恐ろしい話だと思いました。

もうひとつは、10コほど下の女子の話。
全国的な有名企業ではないけれど、地方の有力企業。その会社に勤めている、と言えば、その地元では

「良いところに勤めているね」

と言われるような会社。その会社で総務を担当しています。

彼女の会社の社員の一人が、親の介護が必要になり働けない、という状況に陥りました。
退職してしまうと、原則として復帰はできません。そこで、彼女が会社との間に立ち、休職扱いとならないかと交渉したというのです。

「休職期間中のみ派遣社員を雇うことにすれば、会社にも負担にはならない」
「そういうことなら休職扱いを認めて良い」

ということで、その社員は休職扱いとなりました。
しかも、介護期間は予想外に早く終わり

「あの時、休職扱いにしてもらって本当に良かった」

と、感謝されたそうです。
その話を一緒に聞いていたメンバーは、口々に彼女に対する賞賛を並べました。
ぼくも、彼女は偉いなと思いました。なぜなら

「親の介護が必要になったので退職します」
「そうですか、わかりました」

で、終わりにしても、仕事として、問題はなかったはずです。ひとこと「残念です」と付け加えれば十分な対応だったろうと思います。
にもかかわらず、彼女はその社員の立場になって考え、より良い解決方法を見付けました。
仲間に彼女のような人がいれば、何とも心強いし、今回の件は、会社にとっても大いにプラスだったと思います。

ある種の美談だと思うのですが、別の視点から、ぼくには少しだけ引っかかる点がありました。
派遣社員で穴埋めするということが、完全に市民権を得た、ということ。そして、仲間にすれば心強い彼女は、派遣社員を仲間とは思っていない、ということ。
これもまた、恐ろしい話だと思いました。

巨大企業のリストラや、地方有力企業の派遣社員の採用、というニュースをリアルな声として聞いたからといって、ぼくはなにも、終身雇用の維持や非正規社員のあり方の是正などを主張しようとは思っていません。
経済がグローバル化した現代において、いわゆる「日本型経営」が成り立たなくなることは、好むと好まざるとにかかわらず、避けられないことだと思うからです。

厳しい時代だなぁ。そんなことを思った年末年始でした。
「働き者の奥さんをもらえ」というのが、朝ドラからのメッセージかもしれません。
 

2016年1月6日

 

 
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