COLUMN

 


四月馬鹿のハナシ

エイプリールフール、だそうです。
ということで、ぼくのウソをお聞き下さい。

「馬鹿」って言葉の由来をご存知でしょうか。
Wikipediaをみると、現在7つほどの説が掲載されています。
かつて、ここにぼくの説も載っていた、というよりも、ぼくの言葉がそのまま語源とされていたことがありました。

1995年より少し前、だったと思います。正確な日時は記憶していませんが、ともかく、当時はまだインターネットよりも、パソコン通信でのやり取りが主流でした。そんなパソコン通信上でのやりとりが、事の発端です。
回線接続速度の高低にかかわらず、残念ながら、昔も今もやっていることに大差ありません。その時も誰かと罵り合いになっていました。

「馬鹿」
「馬鹿って言う人が馬鹿でーす」
「はぁ?馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんだよ」
「オマエさあ、簡単に馬鹿とか言うけど、どういう意味で言ってんの?語源は?」

もちろん当時のやり取りを正確に再現したわけではありませんが、大きく間違ってもいないハズです。
実にくだらない。

それはそれとして、当時のパソコン通信には、どこにでも主(ぬし)みないな人がいました。
現在のネット上の(2ch的な)やり取りと、当時のパソコン通信におけるやり取りの最大の違いは、いわゆる匿名性にあります。もちろん、当時も本名以下個人情報を明らかにしてやり取りしていたわけではありませんが、IDとハンドルネームとパスワードがセットになってログインしていたので、発言の一貫性なんかは、ある程度担保されていました。
じゃあFacebookみたいな?と言われると、それともぜんぜん違うノリなんですが、その辺はどんどん脱線して行ってしまうので、割愛。
ともかく、ぼくの出入りしていた場所にも、主みたいな人がいたのです。

で、その人が

「テクニカルタームも、正確に定義づけされていなければ、議論は成り立たない」

みたいな、今にして思うと面倒くさいことを言う人だったのですが、当時その場に集っていた人たちはみな、そういうのを支持していたわけです。
そういう文脈があっての

「馬鹿の語源は?」

ですからね。これに答えられないと負けてしまうわけです。議論に。
結果から言うと、ぼくの苦し紛れのウソが秀逸すぎたのです。いま振り返ってみても、現在掲載されている7つの説よりも、本当っぽい。

一ノ谷の戦いにおける義経の活躍(逆落とし)が語源。
一ノ谷の裏手の断崖絶壁の上に立った義経は坂を駆け下る決断をする。が、一同「こんなところは下りられない」と反対。その時、その崖を鹿が駆け下りるのを見た義経は「鹿が下りられるのに馬が下りられないはずがない。我に続け!」と駆け下り、結果、平氏を敗走させる。
以来、馬と鹿の区別もつかないような、道理を弁えずに、無茶なことをする者のことを馬鹿と呼ぶようになった。

 
みたいな。
それまでぼくらの罵り合いを冷淡に眺めていた、パソコン通信の住人達も、これを読んで

「へぇー、なるほど」
「知らなかった」
「勉強になります」

と口々に賞賛をよせてきました。

それから年月が流れ、パソコン通信が下火となり、住人達は逃散(笑)。
インターネットが主流となり、様々なサービスが開始されました。そんなサービスのひとつ、Wikipedia日本語版が立ち上がった当初、「馬鹿」という項目にぼくの「義経語源」説が堂々と掲載されていたのです。

それが誰なのかは分かりませんが、ぼくと同じパソコン通信(Sundayネットという名称でしたが)に出入りしていた誰かが、恐らくWikipediaの初期の執筆者だったのでしょう。
ぼくは焦りましたが、Wikipedia自体がまだマイナーだったこともあって、放置しました。その後、Wikipediaの存在自体を忘れます(繰り返しますが、Wikipediaであっても、当初はまったくマイナーな存在だったのです)。
それからまた数年の時が経ち、Wikipediaはメディアで紹介され、一気にメジャーになります。ふと「馬鹿」の項目を覗いてみましたが、その時はすでにぼくのウソは削除されていました。誰かが、ぼくのウソを正してくれたのです。ありがとうございます。

騙す意図のなかったウソほど、得てして「真実」と信じられることがあります。
もしどこかに「馬鹿の語源は義経」と思い込んでいる方がいたならば、ごめんなさい。あれはぼくのウソです。およそ20年ぶりに、お詫びして訂正したいと思います。


(追記)
義経が「鹿が下りられるなら馬でも下りられるっ!」と絶叫するシーンが鮮明にイメージできていました。手塚治虫の「火の鳥」にそういうシーンがあった、と記憶していたからです。
しかし、確認してみたところ、「鹿が下りられるなら」というシーンは確かに存在しましたが、ぼくの記憶とはまるで異なる絵柄でした。
記憶というものの曖昧さ、ウソを信じ込んでしまう、ということもあわせて、脳って不思議。

2014年4月1日

 
 
 
 

 
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