COLUMN
遠い街角
何年か前になるけれど、保育園の年中までの三年間を過ごした街に、ふらりと、30数年ぶりに訪れてみた。
すごい田舎。
一緒に行った奥さんが、
「ここに嫁に来るとしたら、相当勇気がいるなぁ」
とつぶやくくらいの田舎。
何もないから何も変わっていないのかもしれない。駅から当時住んでいた家まで1km。迷わず行けた。
先日、親戚と一緒にハナモモを見に行った。
ある場所まで来たとき、ぼくは「あっ」と声を上げてしまう。
初めて来たはずの場所なのに、見たことのある風景。
何号か前のPHaT PHOTO CONTESTに、その場所の写真が載っていたのだ。
いずれの経験も、大げさに言えば、ちょっとした感動をもたらした。
ジグソーパズルのピースを見つけたような感激。
こういうのを「アハ!体験」というのだろうか。まぁ、アハ!でもイヒッでも何でもいいのだが、ともかく、「あっ、ここ」という感覚。
大学生の頃に住んでいた街を訪れるのは、20年ぶり。
懐かしさに涙ぐんでしまうのではなかろうかという期待を持って、ぼくはその街を訪れた。
が、まったく感動しない。
それ以前に、ほとんど何も思い出さないのだ。
もちろん、借りていたアパートはすぐに見つけた。
仲の良かった近所に住む友人のマンションはなんとか見つけたが、隣の駅のカノジョの家は見つからない。
「オレ、カノジョいたよな?」
と疑いたくなるくらい、まったく見つからない。
再開発で、あったはずの建物がなくなったり、なかったビルが新たに建ったりと、そういうことも確かにあるが、それは想定の範囲内。そういうことではなくて、古くからあると思われる店を見ても何も感じなかったり、いたはずのカノジョ(←重要)の家が見つからなかったり、といったことに戸惑った。
びっくりしたのは、大学の近くに神社があったことだ。神社なんだから、当時も当然そこに存在したはずだろう。にもかかわらず、存在自体を認知していなかったのだ。
アパートの近くの公園が、こんなに良いカンジだとは思わなかったし、自転車を10分も走らせれば行けただろう場所に、大きくてステキな森があったことなど、まったく気付いていなかった。
アハもイヒも出てこない。ウヘェというなんとも形容しがたい気分。
見ていたようで、まったく見ていない。
自宅と保育園を往復。たまに、買い物に連れられて駅前へ。そんな保育園児の頃と変わらない視野の狭さで、大学生のぼくは生きていたのだ。世の中のすべてを見通しているくらいのつもりで、肩で風を切って歩いていたくせに。
知っているはずなのに、まるで知らない街に立ち、いたたまれない気持ちになる。
最後には、言いようのない嫌悪感をおぼえ、ぼくは逃げるようにその街をあとにした。
オエッ。
2016年4月25日