COLUMN
炎上交際
某SNS上における高校の同窓会グループにおいて、諍いが勃発している。
と言っても、まあ、ボヤ程度だけど。
今秋に予定されている同窓会の開催の是非を問うべく、実行委員長のGが会合の開催を通知。
ぼくは即座に
亀田「Gが決めれば良いのに。ぼくの意見は「中止」です。意見とは関係なく、決定は支持します。会合には参加できません。」
と投稿。
これが大人の対応でしょ。意見は言う。配慮もする。
で、翌朝タイムラインを確認したら、とんでもないことになってるわけ。
グループメンバーのN。こいつとは仲良しなんだけど、そのNが「亀田と同じくこういう決断はGがすれば良い」とした上で、
N「決断できないメンバー集めて下手に合議制にしても時間の無駄。」
とか言っちゃうわけです。
この段階で爆笑したんだけど、それに対するGの返答が
G「自分の一存ならソッコー中止。会合はガス抜きでやるだけ(要約)」
となってて、腹がよじれるほど笑わせてもらいました。
家族で回覧してから、一人で何度も読み返しては、半日笑ってた。
この会合、誰が参加するの?参加する人いる?(笑)
でまあ、ひとしきり笑って、あとは、こんな会合に参加する奇特な人の名前だけはチェックしたいな、くらいに思ってたんだけど、それじゃ終わらなくて。
Iクン、激おこ。
Facebookで不満ぶちまけてる。Nに対して「お前何様のつもりだよ?」と。
N、ざまぁ(仲良しです)。
というワケで、別件もあったので、Iクンの職場に押しかけて、ちょっとハナシを聞いてきた。
曰く、「異論はないけど言い方が気に入らない」と。
うーん…。
それ聞いたら、なんだか身につまされちゃって。
ぼくもこれまで散々、言い方が悪いと批判され、デタラメなことを言ってる相手の意見ばかりが支持を集める、という経験をしてきたのだ。
もちろん、「デタラメなことを言っている相手」ということを思ってきたのは当事者であるぼく自身だから、「デタラメ」かどうかを判断する立場にはないのかもしれない。
でも、今回の一連のやり取りは、NとGのやり取りだから、ぼくがひとつの見方を提示しても良いと思う。
内容的に批判される余地があるのは、Gの発言だと考えている。
ぼくはGに恨みはないし、そもそも一銭にもならない実行委員長を引き受けたことが最大限リスペクトされるべきだと思っている。今回の発言も、Nに煽られたからと割り引いて考える必要もあるだろう。
しかしそうであっても、会合の開催通知を出した実行委員長の立場で「会合はガス抜き(要約)」って発言は、本来であれば叩かれても仕方がない。
でも、Gは批判されない。たぶん、この度の発言も誰も叩かない。むしろ愛されてる。
一方で、Nの発言は(おそらく多くの人にとって)「異論はない」意見だったにもかかわらず、たぶん腹を立てたのはIクンだけじゃない。
内容よりもイメージ。
Nが嫌われること自体は大賛成だけど(仲良しです)、やっぱり理不尽じゃないかな。
そもそも世界は理不尽だ。
Nだって、そんなことは先刻承知だろう。言えば嫌われるってことくらい分かって言ってるハズだ。
この度の「暴言」を、Nがどういう意図で言ったのか、ぼくは知らない。虫の居所が悪かったのか、酔っ払っていたのか。
いやでも、たまに「暴言」吐きたくなる気持ちは分かるよ。
同じく高校の同窓会グループ。別のSNS。
「M先生が某校の校長先生になられました」というお知らせ。
部活の顧問がMだった、というAが「生徒想いの情に熱い先生」とかコメントするわけ。
もうブチ切れですよ。
そのM先生もグループの一員なんだけど、
冗談だろ?
「生徒想いの情に熱い先生」とか、そういう美化は止めろよ。
百歩譲って、そのように受け止めた人がいたのだとして、それはそれで結構なことだけど、ぼくは、生徒のことを想って彼が暴力を振るっていたとは思わない。
もちろん、彼自身の心の中は分からない。
ただぼくは、首を絞められたとか、プールに突き落とされたとか、そんな記憶しかない。
そのこと自体にしか記憶がないのだから、彼の暴力は、少なくともぼくに対する教育的効果はなかった。
そして、ぼくよりもっと酷い目に遭ってる連中も少なくないだろ。いくつか目撃してるぞ。
もちろん、時代が違うと言ってしまえばそれまでなんだけど、時代を超えて罪は罪。それが、時代によって罰せられなかった罪なのだとしても。
罰せられなかった罪を償うどころか、よくもまあ、校長のイスになんか座っていられるな、と。ただのサイコパスだろ。
そういうサイコパスこそが偉くなっていく、てのも時代の病理だと思うね。
久々に胸クソ悪い。
つってコメント。
いや、これは「暴言」じゃない。Nと一緒にされたくない。
速攻で管理者に削除されてた。
なんで?
2021年6月14日